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横浜地方裁判所 昭和53年(ワ)2444号 判決

原告

熊倉美惠子

原告(亡熊倉茂雄訴訟承継人)

熊倉一雄

熊倉正子

右原告二名法定代理人親権者

熊倉美惠子

右原告三名訴訟代理人

須藤正彦

伊藤文夫

被告

海野洋

右訴訟代理人

藤井暹

西川紀男

橋本正勝

太田真人

水沼宏

主文

一  被告は、原告熊倉美惠子に対し、金三八〇七万五七七五円及び内金三六一三万一六九〇円に対する昭和五四年一月二六日から、原告熊倉一雄に対し、金二三四万七〇四二円及び内金一三七万五〇〇〇円に対する同日から並びに原告熊倉正子に対し、金二三四万七〇四二円及び内金一三七万五〇〇〇円に対する同日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らの被告に対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告熊倉美惠子と被告との間に生じた部分はこれを一〇分しその三を同原告の負担とし、その余を被告の負担とし、原告熊倉一雄と被告との間に生じた部分はこれを二分し、その一を同原告の負担とし、その余を被告の負担とし、原告熊倉正子と被告との間に生じた部分はこれを二分し、その一を同原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告熊倉美惠子に対し、五四七九万九二三三円及びうち五一八九万九二三三円に対する昭和五四年一月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告熊倉一雄に対し、四五七万五〇〇〇円及びうち三一二万五〇〇〇円に対する昭和五四年一月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告熊倉正子に対し、四五七万五〇〇〇円及びうち三一二万五〇〇〇円に対する昭和五四年一月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

<以下、省略>

理由

一次の事実は当事者間に争いがない。

1  原告美惠子は、昭和五三年一月一六日ころ、性器出血を起こし、同出血が続いたので、同年二月二日午後〇時一五分ころ、被告が河原看護婦にトラジニン(一般薬品名アプロチニン)五万単位の静脈注射を指示し、同看護婦が静脈注射をし、これが終了後、程なくして同原告は悪心、胸内苦悶、吐気、分泌物流出の症状を呈し、診察室のベット上に仰向けに寝た後にショック状態に陥り、分泌物増量、意識不明、呼吸停止の状態、すなわち本件事故に至つたこと、

2  アプロチニンは、いわゆる異種たんぱくに属するものであり、一旦体内に注入されるとこれが抗体となり、再び体内に注入されると抗原抗体反応によりいわゆるアナフィラキシーショック(瞬間的に起こる体全体の循環不全)を起こしうる薬物であること、アナフィラキシーショックの症状は、急速に出現する重篤な全身症状であり、末梢血管の循環不全のため血圧の急速な低下を来たして全身の皮膚と粘膜は蒼白となり、口唇チアノーゼとなり、呼吸は停止するか、甚しく不整となり、心臓の拍動は停止するか微弱化し、これらとともに急激に虚脱状態になるので、これを放置すると間違いなく死に至るものであること、血液循環による酸素の供給がなされないと身体の代謝が機能せず、特に脳細胞が死んでしまうこと、右の知識は当時の医学界の一般的常識であり、被告もまたこれを認識していたこと、

3  被告が原告美惠子に対して使用したトラジニン五万単位注射の効能書中には、適応症として急性膵炎、膵臓壊死、膵臓患部の開腹検査、壊死部の浄化時の膵臓保護などの記載はあるが、本件のような性器出血時における適用など止血作用については記載されておらず、本件におけるトラジニンの使用がいわゆる適応外使用に当たること、原告美惠子の性器出血は大出血に当たるものではなかつたし、また、出産や手術という状況下になかつたこと、トラジニンの止血作用については、文献上も、本件程度の機能性出血時におけるトラジニンの使用については例外中の例外の場合として記述されており、しかも、右の臨症例は、いずれも人的物的設備の整つた大規模な大学病院等で行なわれたものであつて、個人経営の産婦人科医院等で行われたものではないこと、

4  本件事故当時、トラジニンの効能書中の「一般的注意」の欄には、「投与に際しては患者を横臥させ、その静注速度はできるだけ緩徐に少なくとも一分間最高五ミリリットルまでの速度で静注するか、生理食塩液などで希釈し、点滴静注することが望ましい。投与後は十分安静を保つこと」と記載されていたこと、

二先ず、医師が患者にアプロチニンを投与するに当たり、いかなる注意義務があるかについて、検討する。前記事実に加え、<証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。

1  アプロチニンは、アナフィラキシーショックを起し得る薬物であり、同ショックは薬物過敏症のうち最も重症のものであつて、その特徴は急激な発症と重篤な、しかも、しばしば死に至る急速な症状に発展するものであるから、医師にとつては最も敏速な分秒を争う緊急処置を要する疾患であること、アナフィラキシー症状の主なものは、呼吸器症状としては喉頭浮腫や気管支けいれんなどによる気道狭窄症状すなわち呼吸困難などが、消化器症状としては嘔気、嘔吐などが、また、循環器症状としては循環不全による血圧低下がみられ、更には心停止などの心症状が出現することもあること、アナフィラキシーショックは、一般的には症状の出現が早いものほど重症であり、注射の場合には、針を抜かないうちに発症する場合もあるが、大部分は数分以内に遅くとも三〇分ないし四五分以内に発症すること、右ショックの初期の症状としては、喉頭狭窄感、胸内苦悶感、嘔気、嘔吐、冷汗などがみられるが、典型的な場合には、これらの初期症状に次いで、直ちに顔面が蒼白となり、脈拍頻数微弱あるいは殆んど触知不能となり、血圧も低下し、殆んど測定不能の場合もあり、チアノーゼ、呼吸困難なども現われ、更には、意識消失、けいれん、失禁なども現われること、右発症後は、できるだけ速やかに脳に十分な酸素を供給し、脳の酸素欠乏を改善することが必要であつて、呼吸、心拍停止後三、四分以内に蘇生させないと死亡するか、治癒しても脳後遺症が残ること、したがつて、医師としては、初期かつ軽度のショックを見逃すことなく、速やかに適切な治療を開始することが必要であり、治療開始が早ければ早い程結果もよいので、アプロチニンの注射中はもちろんのこと、右注射終了後も、少くとも一五分位は患者を安静にしてその容態を観察することが必要であること、そこで、アプロチニンの使用に関する効能書中にも、使用上の注意として、「ショックなどの反応を予測するため、十分な問診をすること。」のほか、「投与前後の患者の全身状態を十分観察すること。」に加え、「投与後は十分安静を保つこと。」などの記載がなされていること、患者の安静を確保することは心臓を庇護することでもあつて、アナフィラキシーショックの発症の予防等にも役立ち得ること。

2  アナフィラキシーショックが発症した場合には、一般的には、同ショックの主症状である急性循環虚脱と気道狭窄(喉頭浮腫及び気管支けいれん)に対処するため、次のような順序で緊急処置をするものとされていること。

①  直ちにベッド上に安臥させ、頭部をやや低く、足部を高くし、衣服等をゆるめること、これは、内臓にうつ血している血液の還流をよくし、かつ、脳血流量低下の回復をはかるための処置である。

②  希釈したアドレナリン液(以下「アドレナリン液」という)を上腕三角筋部に筋肉注射をし、次いで、静注用副腎皮質ステロイド剤の静注をすること。

③  ショック状態になると静脈注射が困難になるので、留置針を用いて静脈を確保し、輸液を開始すること、但し、静脈切開を必要とする場合もあり得る。

ショック症状が重篤なときは、アドレナリンを生理食塩水にうすめてゆつくり管注すること、血管透過性亢進による循環血液量の減少、血液濃縮は、ショックの発生の主要な機序をなしているので、十分な輸液を行なう必要があるし、また、ショック状態が遷延するときは、副腎皮質ステロイド剤をさらに増量したり、その他の薬剤を投与する。

④  意識が消失すると、舌根沈下による気道閉塞を起しやすくなるので、かかる場合には頭部後屈と下顎挙上による気道の確保を行なうこと、口腔内に分泌物のあるときは、頭、肩を半側臥位とし、これをふきとるか、吸引する。更に、必要に応じエアウェイの挿入、気管内挿管、気管切開を行なう。

気道を確保したうえで、特にチアノーゼが回復しないときには酸素吸入を行なう。これによりショックの回復も早くなる。しかし、呼吸が非常に弱いか、無呼吸のときは、マウスツーマウスやアンビューのバッグなどによる人工呼吸を行なう。なお、喉頭浮腫が軽症の場合には、副腎皮質ステロイドなどの静脈注射が有効であるが、症状に応じ、輸液中にアドレナリン等の薬物を加える必要もある。

⑤  心停止に対しては、心臓マッサージが必要であり、この場合には同時に人工呼吸と薬剤(重炭酸ソーダ液等)を併用しながらこれを行なう。

心臓マッサージのためには、医師のみではなく、その場に居合わせる看護婦もまた、迅速適切な適応の決定、迅速確実な手技に習熟しておかねばならないし、更に心臓マッサージの必要が起りそうな場合には、その準備を万全にしておかなければならない。呼吸の補助が必要なときは最低二人を要し、そのチームワークがまた熟練を要する。

したがつて、アナフィラキシーショックが発症した場合には、緊急処置として、気道確保、心臓マッサージ、人工呼吸と併用して薬物の投入が迅速、的確に行われる必要があるから、医師がアプロチニン注射をするに当つては、右ショックの発症に備えて予め万全の準備をして置く必要があり、特に、点滴注射をしている場合には、その途中で右ショックが発症しても、血管が確保してあるので、点滴を中止し、迅速、的確に輸液を投入することもできるから、気管内挿管ないし気道確保にも役立ち得るのみではなく、ショック症状の早期回復にも非常に効果的であること、そこで、前記効能書中においても、適用上の注意として、「投与に際しては、患者を横臥させ、その静注速度はできるだけ緩徐に、少なくとも一分間最高五ミリリットルまでの速度で注射するか、生理食塩液などで希釈し、点滴静注することが望ましい。」と記載されていること、しかし、点滴静注には時間が掛ること、

3  前記効能書中には、「過敏症の患者などには投与しないことを原則とするが、特に必要とする場合には、観察を十分に行ない慎重に投与すること」なる旨の記載があること、医師としては、この点につき一般的には問診によつて判断することになるが、アナフィラキシーショックの事前予知は、前に感作されているかどうかについての患者自身の記憶が通常あまりないことなどから難しいこと、そこで医師によつては、トラジニンを点滴静注すれば、静注速度がゆつくりで濃度も薄く、アナフィラキシーショックが起きそうなときには、注入量が少量のうちに早期に点滴を中止して対処することができ、また血管を確保してあるのですぐに輸液に取り換えることができるという前記メリットをも考慮し、トラジニンの静脈注射を避け、点滴静注をしていること、

以上の事実が認められ<る。>

右認定事実によれば、医師が患者にアナフィラキシーショックの発症が問題となり得るアプロチニンを投与するに当つては、少なくとも、右発症を予防し、あるいは、できるだけ軽い症状で回復を図るために、十分な問診を行ない、次いで、患者を横臥させて安静を確保したうえ、原則として、予め緊急事態に備えての準備をして点滴注射をし、右終了後も一五分程度安静を保ち、患者の全身状態を十分に観察する注意義務があるものというべきである。

三原告らは、原告美惠子が本件事故により障害を受けたのは、被告の診療上の過失に基づくものである旨主張するので検討する。

前記一項の認定事実に加え、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告美惠子は、昭和八年二月四日生まれで、同三五年四月二八日、亡茂雄と婚姻して以来、健康状態はほぼ良好であつたこと、

2  原告美惠子は、昭和五三年一月四日から五日間月経が続いた後、同月一六日から不正性器出血があつたので、同月二七日、被告経営に係る海野マタニティークリニックに来院して被告に受診し、癌検診を希望したこと、その際、同原告は、被告方の初診・受付カードに、分娩は、同三六年一二月一三日と同三九年一二月一三日、アレルギーについては、異常体質、じんましん、出血しやすい体質並びに薬、注射及びお産の異常は、すべてない旨の記入をしたこと、

3  被告は、原告美惠子を診察した結果、出血量は、月経時に比べると少ないが、ほんの少量というほどでなく、中等量であることなどを認め、機能性出血と診断し、また癌検診は中等量の出血の状態では責任が持てないとして、出血につき処置することとしたこと、

4  被告は、出血に対する処置として、第一に、ホルモンの注射として、HCGモチダ三〇〇〇単位の筋注をし、第二に、止血剤として、トランサミンカプセル二五〇ミリグラムを一日分として六カプセル及びロメダ一・二五ミリグラムを一日分として二錠三日分を投与し、もし、出血が止まらないときには注射を二、三日するので、連続して来院するように指示したこと、

なお、HCGモチダは胎盤性の性腺刺激ホルモンで止血作用があり、トランサミンカプセルもまた止血作用があり、また、ロメダは機能性出血に適応があるが、抗原抗体反応を起こす動物性蛋白は含まれていないこと、

5  原告美惠子は、昭和五三年一月三一日再び被告方を訪れ、中等量の出血が続くので癌検診をしたい旨訴えたこと、被告は、前記同様の筋注及び投薬をし、翌日も注射に来るように指示したこと、同原告は、翌日(二月一日)来院したが、やはり出血が止まらない旨訴えたので、被告は、前記同様の筋注をし翌日も来院するように指示したこと、

6  原告美惠子は、二月二日来院し、被告は午後〇時過ぎに外来診察室において同原告を診察したこと、同原告は、前と同様の出血がある旨訴えたので、被告は、診察室でHCGモチダを河原看護婦に命じて注射させ、更に、貧血の疑いがあつたので、血液検査のため同看護婦に採血をさせ、続いて内診室において内診したところ、機能性出血による中等量の出血が続いていたこと、そこで、被告は、機能性出血に対処する方法として、既に投与したホルモン剤と異なる種類の黄体ホルモンの投与、子宮内膜の掻爬、血液中のホルモンデーター又は基礎体温データーを基に治療(例えば無排卵誘発)する方法なども考えたが、同原告の場合、既に投与したものと同種類の止血剤、ホルモン剤の大量投与をしても、それまでにホルモン療法を三回行なつた経過から効果が薄いものと予測されたうえ、長期にわたる機能性出血により全身性の貧血に至つたり、あるいは出血傾向が強まつて対応し難くなるおそれのあること及び同原告が癌検診をしてほしい旨訴えていたので精神的影響を防ぐためにも早く検査する必要があつたこと、そして、アプロチニン製剤の止血作用については、昭和四三年ころから、プラスミン活性の抑制作用から有効である旨の研究報告が多数なされており、そのうち同四五年三月の名古屋大学医学部産婦人科学教室の報告中には、アプロチニン製剤であるトラジロールがその抗プラスミン作用から全身性プラスミン活性の亢進を伴う出血のほか、局所的なプラスミノーゲンアクテイベーターの亢進による出血(機能性子宮出血)の治療にも利用しうる薬剤である趣旨の記載があること、トラジニンの効能書中にも線維素溶解阻害作用及び血液凝固因子阻害作用がある旨記載されていることなどから、短時間に出血を止める効果のあるトラジニンの使用を思い立ち、同原告が先に記入した初診、受付カードの記載等を参酌してその使用を決めたこと、当時、被告方には河原看護婦外二名の看護婦が勤務していたが、河原看護婦が診療室に居り、他の二名は入院中の患者が出産を控えていたこともあつて同人の病室に行つていたこと、なお、河原看護婦はいわゆるパート勤務であつて、同日の勤務時間は午前八時四五分から午後〇時三〇分までであつたこと、

7  被告は河原看護婦に対し、トラジニン五万単位を原告美惠子に静脈注射をすることを指示したこと、被告としては、点滴注射では時間が一、二時間掛るうえ、昼時であつて河原看護婦の勤務時間の終了も間近であつたことなどに加え、被告は、従前、出産時及び手術時における出血予防のためにトラジニンを五〇例程投与し、何らの異常も認められなかつたことから、早く済ませるために静脈注射を指示したものであること、被告の右投与例は、いずれも出産後及び手術の際におけるものであつて、患者を安静の状態にして行なわれたものであること、同看護婦は同原告を診療室内の被告の傍らの丸椅子に腰掛けさせたまま、午後〇時二二分ころ右注射をし、同注射中、同看護婦は、同原告に対し、「気分が悪くないか」と二回程声を掛け「大丈夫」との回答を得たこと、右注射が終わり、同原告が立ち上がって帰りかけると、よろめき、悪心を訴えたので、河原看護婦は同原告を介助し、三メートル位歩かせたうえ、ベッドに寝かせたこと、そのころまでは同原告の顔色は正常であつたこと、ところが、その後間もなく、同原告の顔色はチアノーゼを呈し、どす黒くなり、血圧は三〇―〇となり、発汗し、喉頭から分泌物が多量に流出したこと、被告は、事務員の内藤に命じ、竹山中央診療所の大矢医師の応援を乞う一方、吸引器で分泌物を吸引したこと、午後〇時二九分ころ、同原告の呼吸は停止し、顔面は蒼白となつたこと、被告は河原看護婦にビタカンファ〇・五パーセント一ミリリットルを筋肉注射させた後、同看護婦に点滴の準備を命じたが、これをすることができなかつたこと、また酸素吸入をするためのアンビューのバッグなどの準備もなかつたので、看護婦の内田に隣りの手術室から酸素吸入のため麻酔器を持つて来るように指示したこと、しかし、内田看護婦は、麻酔器が重いうえに、幅が広いため迂回して持ち込まざるを得ないので手間取り、結局、大矢医師と共に応援に駆け付けた看護婦らがこれを手伝つたこと、被告自身は、この間、同原告の頭部後屈と下顎挙上による方法で一応気道を確保したうえ、喉部からの分泌物を吸引器で吸引し、血圧を測定したほか、同原告の腹の上に馬乗りとなり、用手的な人工呼吸をしていたこと、しかし、この人工呼吸法は効果が薄いこと、被告は前記のとおりカンフル注射をしたが、これもこのような事態の場合には効果が薄く、血管を確保していなかつたため、的確、迅速な薬剤の投与などもなし得なかつたし、また人手が足りないために有効な救急措置をも講じ得なかつたこと、

8  午後〇時二九分ころ、大矢医師らが応援に駆け付けたこと、この時、原告美惠子の脈拍頻数微弱であつて、呼吸は停止し、皮膚は小豆色を呈し、手足はけいれんを起こしていたこと、同医師は、直ちに心臓マッサージを一、二回し、次いでマウスツーマウスの方法による人工呼吸を四、五回施した(時間にして約三〇秒)こと、午後〇時三〇分ころ、竹山診療所の看護婦長山中百合子(以下「山中婦長」という。)らも応援に駆け付け、アンビューのバッグ、点滴セット、麻酔道具、酸素ボンベ、薬品類等を診察室に運んできたこと、そのうち、麻酔器は、被告方の備品であること、そこで、大矢医師は直ちにマウスツーマウスからアンビューのバッグに切り換えて呼吸管理をし、看護婦の三国真喜子に血圧測定を、また、山中婦長に点滴をさせるなどして蘇生措置を行なつたこと、このとき、大矢医師は、被告に点滴をさせようとしたが、被告は、山中婦長から渡されたメスを、注射器と間違えて原告美惠子の皮膚に刺そうとするなど落ちつきを失つていたこと、山中婦長は、竹山診療所の成尾頴子に記録を、同じく片桐サカ子に点滴の介助、導尿を指示していたが、河原看護婦はこの間茫然と立つていたこと、

9  大矢医師は、原告美惠子に気管内挿管によつて呼吸をさせようと何度も試みたが、浮腫が発生していたため成功しなかつたので、アンビューのバッグ及び麻酔器を使用して呼吸させたこと、午後〇時四〇分、同原告の血圧は四〇―〇となつたが、この時までに五パーセントグルコース五〇〇ミリリットル、ハルトマンs五〇〇ミリリットル、メイロン一〇〇ミリリットルの点滴がなされたこと、その後被告は前記入院患者の出産のために一時同人の病室に出掛け、大矢医師は横浜市民病院の麻酔科部長酒井医師に電話をし、指示を仰いだこと、

10  午後一時五四分、血圧は九四―四〇となり、脈拍は一分間一二〇となつたこと、

11  午後三時、大矢医師は、原告美惠子を竹山中央診療所へ転医させたこと、午後五時二五分、酒井医師が来訪し、同原告の鼻から気管内挿管を試み成功したこと、午後一一時、大矢医師の要請により、市大病院脳外科の加行医師が来訪し、脳外科的診察をしたこと、この間大矢医師は、当直の看護婦に点滴及び酸素吸入を指示していたこと、なお被告は、竹山診療所へ同原告が転医された後、大矢医師の蘇生措置を一〇分くらい眺めてから帰つたが、午後一〇時ころ、原告美惠子を市大病院のICU(集中看護)に入れるについてその所属を同病院の外科にするか、婦人科にするかを決める話し合いのために再び来訪したこと、

12  二月三日午前一〇時三〇分ころ原告美惠子は、市大病院に運ばれたこと、その後、同月八日午前一〇時ころまで訴外謝医師の指揮下でICU(集中看護)が施され、市大病院婦人科病室で同様の治療がなされ、同年四月一〇日ころから、同年五月二〇日退院時まで、リハビリテーションとしての治療訓練が続けられたこと、

13  被告が、被告方の看護婦らに対し、系統だつた救急蘇生措置の訓練を行つておらず(この点は当事者間に争いがない)、単に手術室における手術時において、年間何例か緊急の事態が生じた際に介助の看護婦に対し、応急措置について話しているにすぎないこと、河原看護婦は看護婦の免許を取得してから二、三年しか経つてなく、当時被告方に勤務していた看護婦の多くも同様であつたこと、

以上の事実が認められ<る。>なお、被告本人の供述中の、原告美惠子にトラジニンの注射を開始した時刻は同月二日午後〇時二四分ころであり、同原告がショック状態に陥つたのは同〇時二六分ころであつた旨の部分及び<書証>中の同旨の記載は、被告本人尋問の結果によれば、被告は現実に右時刻を確認したことはないうえ、右各記載のうち時刻の部分は被告自ら本件事故後に書き直したものであることが認められることのほか、<証拠>に照らしてにわかに措信し難い。

また被告本人の供述中、原告美惠子がショック状態に陥つてから大矢医師が駆け付けるまでの間、河原看護婦に命じて酸素吸入(麻酔器)の準備をさせ、内田看護婦に命じて点滴(輸液)の準備をさせた旨の部分は証人の証言によれば、大矢医師が被告方に駆け付けたとき、河原看護婦は被告の傍で茫然と立ちすくんでおり点滴の準備も全くなされていなかつたことが認められることに照らし、たやすく措信することができない。

右認定事実によれば、被告が原告美惠子の出血を止めるためにトラジニン注射を選択したこと自体に過失があつたものとまでは断定できない。しかし、右投与方法等に関しては、本件アナフィラキシーショックは発症時には症状は比較的軽かつたのであるから、被告が予め万一の緊急事態のための準備をし、かつ看護婦に対して点滴注射を指示し、安静を確保しながらトラジニン注射を行つていたならば、右ショックが発症しないか、あるいは仮に右ショックが発症したとしても、それは時間的にみても、右点滴開始後間もなくであつて、右投与量も少ないうちに発症したものということができ、しかもその場合には血管が確保されているから、直ちにこれに対する薬剤を的確、迅速に投与し、早期に、かつ、軽症のうちに回復し得る可能性が濃厚であること、ところが、被告は、早く済ませるために、万一の緊急事態のための準備もなく、漫然として、河原看護婦に対し静脈注射を指示し、同看護婦が患者の安静を確保することなく、恰も右ショック発症の恐れのない薬剤を投与する場合と同様の方法で注射するのを放置していたため、右ショックの発症が促進され、しかも、発症後の軽い症状のうちに的確、迅速な薬剤の投与等もなし得なかつたことから右症状も重篤化し、更に、その後においても、看護婦が未熟のために点滴の準備さえもできず、そのうえ、人手不足と救急器具の準備等もなかつたため適切かつ迅速な救急措置もなし得なかつたことが、原告美惠子の本件事故による障害発生の原因となつたものと推認せざるを得ない。

そうすると、被告には原告美惠子に対しトラジニン注射をするに当つて医師としての注意義務を欠いたものといわざるを得ず、薬品の効能書に静脈注射による投与方法が記載され、被告がこの方法によつたからといつて、それだけでは医師としての注意義務を尽したものとはいえないことが明らかであり、<書証>の見解は採用することができない。

したがつて、被告は、民法七〇九条に基づいて本件事故により原告らの被つた損害を賠償する義務があるものといわざるを得ない。

四損害について

1  原告美惠子の損害

(一)  休業損害及び逸失利益

(1) 前記三1認定の事実に加え、亡茂雄本人尋問の結果によれば、原告美惠子は昭和八年二月四日生まれの主婦であり、本件事故前は健康状態もほぼ良好で、同四五年ころから本件事故発生の日の前日まで竹山中央診療所に賄婦として勤務し、月収手取り約九万円、年間賞与約二七万円を得ていたことが認められる。

(2) 原告美惠子は、本件事故により、脳中枢神経系の障害が生じ、それにひき続く脳障害後遺症による見当識障害、記銘力障害、健忘等正常に社会生活を営むことの不可能な知的精神的不具者の状態に陥つていること、現在の症状は、平仮名も書けず、初歩的な加減乗除の計算、身の回りの作業、食後の後片づけ、洗濯等をひとりで行なうことも著しく困難であり、自分から順序だてた行動をすることもできず食事を作ることもできないに等しく、感情の起伏が激しく、怒つたり泣いたり馬鹿笑いをしたり、うつろな目をしたり、また些細なことを気にしたりする状態であることは当事者間に争いがない。

(3) <証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。

原告美惠子は、昭和五三年五月二〇日に市大病院を退院時は、全身状態は良好で意識障害はないが、時間の観念を欠き、時計の見方も分らず、失禁したり、着物を一人で着るのが困難なうえ、家事は一切できないなど知的能力の低下、失語、失行症があり、家庭の主婦としての活動、社会人としての活動には他者の援助を要する状態であつたこと、同原告は退院後同五三年六月一五日までは一週間に一回、その後二、三か月間は一五日間に一回、その後同五四年一一月ごろまでは一か月に一回の割合で通院していたところ、同年八月ころにはやや回復し、家事の一部ができるようになつたものの掃除機の取扱いもよく分らず、食器を壊すなど不完全であり、時計は何時までしか分らず、着物を着るのが困難であつて、失禁があり、また、風呂に一人で入れず、テレビを見ても意味が分らないなどの状態であつて、見当識障害、記銘力障害、健忘が目立つなど社会生活上の困難が著しく、その後の回復は芳しくなく、同五七年一一月ころになつても、風呂に入るのに通常人の倍位も時間がかかるなど動作が鈍く、家事を覚えるのに時間がかかるうえ満足にできず、着物を着るのも困難であるなどの後遺症が残つていたこと、現在の症状は、前記(一)のほか、金銭の計算ができないし、時計を正確に読めず、また、家事は米を研ぎ、味噌汁を作り、材料を切ることや食事後の後片付け位がようやくできるが、布団の上げ下ろしはできないし、排尿の際にはトイレカバーを濡らしたり、横断歩道も一人で渡れないので外出が困難であり、本件事故前にやつていた洋、和裁、アートフラワー等は勿論できないなどの状態であること、今後も同原告が他人の介助なしに一人で生活することが困難であり、苦難の人生を歩まざるを得ないこと、

以上の事実が認められ<る。>

右認定事実によれば、原告美惠子の症状が現在以上に回復する見込は殆んど期待できないから、その後遺障害は、概ね自賠法施行令別表の第三級の三の神経系統の機能に著しい障害を残し終身労務に服することができないものに相当し、その労働能力喪失率は一〇〇パーセントと認めるのが相当である。

(4) 原告美惠子の本件事故当時の平均余命は、約三一・三年であり、就労可能年数を二〇年として、ホフマン係数をもつて計算すれば、同原告の本件事故による逸失利益は次のとおりである。

前記(一)認定の年間平均給与額(九万円×一二+二七万円)×二〇年間のホフマン係数(一三・六一六〇六七六四)=一八三八万一六九一円

(二)  慰謝料について

前記三、四1(三)認定のように、原告美惠子は、本件事故により、市大病院に昭和五三年二月三日から同年五月二〇日まで一〇七日間入院し、その後少なくとも六日間通院したものであること、本件事故による後遺障害は、自賠法施行令別表の第三級の三に相当するものと認められるから、その慰謝料の額は、一五〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

2  亡茂雄の損害

(一)  市大病院入院中の入院看護料及び諸雑費

前記認定の事実に加え、弁論の全趣旨を総合すると、原告美惠子は昭和五三年二月三日から同年五月二〇日まで一〇七日間市大病院に入院し、この間の入院看護料、諸雑費は亡茂雄において負担したことが認められ、右の金額は、五〇万円を下らないものと認められる。

(二)  茂雄の慰謝料

亡茂雄本人尋問の結果によれば、同人は設計事務所を経営していたもので、原告美惠子と昭和三五年四月二八日に婚姻し、原告一雄(昭和三六年一二月一三日生まれ)と原告正子(同三九年一二月一三日生まれ)の二児を持ち、幸福な家庭生活を営んでいたところ、本件事故により原告美惠子が前記1認定の状態となつたもので、その介護等による心労、精神的苦痛は著しく、更に、同原告の将来を気遣いながら、昭和五八年三月六日脳内出血により死亡したことが認められる。亡茂雄の心痛は察するに余りがあり、これを金銭を以て評価すると、五〇〇万円を下らぬものといわざるを得ない。

(三)  弁論の全趣旨によれば、亡茂雄は、原告ら訴訟代理人との間で、本件訴訟における損害金認容額の一割を弁護士費用として支払う旨の合意をしたことが認められるから、右費用は三八八万八一六九円となる。

3  亡茂雄は、昭和五八年三月六日死亡し、同人の一切の権利義務を原告美惠子、同一雄及び同正子がそれぞれ相続により法定相続分に従い承継したことは当事者間に争いがない。

4  以上によれば、被告は、原告美惠子に対し、固有の損害額三三三八万一六九一円と亡茂雄の損害額九三八万八一六九円の法定相続分(二分の一)である四六九万四〇八四円の合計三八〇七万五七七五円を、原告一雄及び同正子に対し、それぞれ亡茂雄の損害額の法定相続分(四分の一)である二三四万七〇四二円を賠償する責任がある。<以下、省略>

(古館清吾 吉戒修一 河野泰義)

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